浩二郎

記事一覧(4)

レポート3 ONAHAMA WALKING TOUR 学歩(まなぼ)~富ケ浦篇〜 岡で起きたこと

 ここで「小名浜」という地名を考えてみます。もともとこの地は「小名」でした。「小名」のハマが小名浜、「小名」のオカ(陸、岡)は岡小名となって二つに分かれたといいます。このハマとオカの対応は日本各地に散見されますが、近いところだと、楢葉町の山田浜と山田岡もありますね。正式な地名にならないまでも、同じ地域の沿岸をハマ、その後背地をオカと呼び習わすところも少なくないでしょう。 少しずれますが、久ノ浜も元々は「ヒサ」という地域だったのだと思います。それが「久ノ浜」「大久」「小久」に分かれていく。 行政区分、統治単位としてのこのような呼称はもちろんかなり時代が下ってからのものですが、そうなるに至った素地といいますか皮膚感覚のようなものは太古の昔から延々と受け継がれてきたのではないかと思ったりします。 話は本題に戻りますが、私たちはこのツアーで「富ケ浦」を辿るはずでした。ここには「富」という地域があったのではないかと思うのです。それは「トミ」という音だったのかもしれませんし「富」という文字だったのかもしれません。 浦があれば、そこに突き出した小高い岡に、そこに住む人々の精神世界にとって非常に重要な場所があっただろうことは想像に難くありません。もう一度標高10mの等高線を見てみましょう。